大判例

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名古屋高等裁判所 平成8年(う)181号 判決

本籍

石川県珠洲市寳立町宗玄二五字三四番地

住居

名古屋市港区名港一丁目一四番一七号

無職

橋元昭子

昭和二年三月二七日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成八年六月二六日名古屋地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官河野芳雄出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六か月及び罰金二億円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人高橋美博、同今枝孟連盟の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用するが、その要旨は、被告人を懲役一年一〇か月及び罰金二億円に処した原判決の量刑は、重過ぎて不当である、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討する。

本件は、〈1〉名古屋市港区内で「以波橋遊技場」の名称でぱちんこ遊技業を営んでいた被告人が、自己の所得税を免れようと企て、売上の一部を除外して仮名預金を設定するなどの不正な方法により所得の一部を秘匿した上、虚偽の所得税確定申告書を提出し、平成二年分から同四年分までの所得税合計五億八七六二万円余をほ脱し、〈2〉石川県珠洲郡内浦町内で「パーラサロニカ」の名称でぱちんこ遊技業を営んでいた橋元幸平の妻であり、同店の業務全般を統括していた被告人が、右幸平の所得税を免れようと企て、売上の一部を除外して仮名預金を設定するなどの不正な方法により所得の一部を秘匿した上、虚偽の所得税確定申告書を提出し、平成二年分から同四年分までの所得税合計三億一八八六万円余をほ脱した、という事実である。

三年間にわたるほ脱税額は合計九億〇六四九万円余ときわめて多額に上り、ほ脱率も平均八三パーセントと高率であること、脱税の方法は、真実の売上から一部を除外した虚偽の金額を収支表に記載し、コンピュータで打ち出した売上データ自体は焼却するなどした上で、右の収支表等の虚偽の資料に基づいて税理士に作成させた確定申告書を提出したものであり、仮名・借名預金の設定や無記名割引債券の購入等により脱税した資産の隠匿を図るなど、犯行態様も巧妙かつ悪質であること、犯行の動機に格別酌量すべきものはないことなど、原判決が(量刑の理由)の項において指摘する諸事情は、当審としてもすべて肯認することができ、これに照らすと、被告人の刑責を軽視することは許されない。

そうしてみると、被告人及び夫幸平は、修正申告後の本税、重加算税及び延滞税を完納していること、本件発覚後、前記各店を法人化するなどして経理の透明化を図っていること、現在ではすべての会社経営から手を引いていること、前科前歴がまったくないこと、法律扶助協会に合計三〇〇〇万円の贖罪寄付をしていること、被告人及び夫幸平の年齢や健康状態、本件発覚後は、すすんで査察や捜査に協力するなど、本件を十分反省していることなどの、被告人に有利な諸事情をできる限り斟酌しても、被告人を懲役一年一〇か月及び罰金二億円に処した原判決の量刑は、その言渡しの時点を基準とする限り、重過ぎて不当であるとは認められない。

なお、所論は、被告人分の課税所得の中には、合計二億四六五〇万円余の郵便貯金の利子所得が含まれているところ、被告人は、利子所得それ自体について、なんら工作をしていないのであるから、本件利子所得の不申告は過少申告には当たらず、原判決には、脱税額についての事実誤認、法令解釈適用の誤りがあり、仮に、過少申告であるとしても、なんらの工作も伴っていないのに、原判決が、これらの点を量刑上なんら考慮していないのは不当である旨論難する。

しかし、特別の工作を行うことなく、単に真実の所得を隠蔽し、所得金額をことさら過少に記載した内容虚偽の確定申告書を提出する行為自体、所得税法二三八条一項にいう「偽りその他不正の行為」に当たると解されるのみならず、被告人は、脱税した現金により借名等で設定した郵便貯金を解約した場合に、預け入れ期間に相応した利子が発生していることを認識した上で、これが売上の一部除外発覚の端緒になることを恐れ、利子所得に対する課税をも回避するために、前述のような確定申告をしたものと認められ、利子所得自体について不正の工作をしていないからといって、そのことが格別有利な情状となるものではないから、所論は採用できない。

しかしながら、当審における事実取調べの結果によれば、原判決後、さらに、法律扶助協会に二〇〇〇万円の贖罪寄付をしていること、被告人は、原判決後、本件に対する責任をあらためて自覚するとともに、反省を更に深め、虚血性心疾患等の病状も芳しくない状態が続いていることなどが認められ、このような原判決後の事情をも前記情状に併せて考慮すると、現時点においても、本件について懲役刑の執行を猶予することは考えられないが、刑期の点において原判決の量刑をそのまま維持するのは相当でない。

よって、刑訴法三九七条二項により、原判決を破棄した上、同法四〇〇条ただし書により、当裁判所において更に判決する。

原判決が認定した事実に、原判決と同一の法令(刑種の選択及び併合罪の処理を含む処断刑を形成するに至るまでのもの)を適用し、加重した刑期及び合算した金額の範囲内で、被告人を懲役一年六か月及び罰金二億円に処し、右罰金を完納することができないときは、平成七年法律第九一号による改正前の刑法一八条により金五〇万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本光雄 裁判官 志田洋 裁判官 川口政明)

控訴趣意書

被告人 橋元昭子

右の者に対する所得税法違反被告事件の控訴の趣意は左のとおりである。

平成八年九月六日

右弁護人 高橋美博

同 今枝孟

名古屋高等裁判所 御中

第一、本件犯罪事実について

一、原判決は、

1 被告人は、平成二年分の総所得金額が四億四六三六万四〇一八円であり、所得税額一億七四七一万九五〇〇円を免れ、平成三年分の総所得金額が四億七一四九万一六七七円であり、所得税額一億八八三一万九五〇〇円を免れ、平成四年分の総所得金額が四億七八九六万三八三〇円、分離課税の短期譲渡損失金額一五四万〇三四三円、分離課税の長期譲渡所得金額が一〇〇六万七〇四〇円であり、所得税額二億二四五八万五〇〇〇円を免れ、

2 被告人は、橋元幸平の所得税を免れようと企て、平成二年分の総所得金額が二億三七八四万九六七七円であり、所得税額九三九七万円を免れ、平成三年分の総所得金額が三億九八三六万四四五一円であり、一億二六九二万三五〇〇円を免れ、平成四年分の総所得金額が二億四六五九万四三五四円、分離課税の短期譲渡損失金額一二二万六八四三円、分離課税の長期譲渡所得金額五四一三万九九三六円であり、九七九七万六〇〇〇円を免れた。

と認定している。

二、確かに、被告人に所得税法違反の事実の存することは否定するものではない。

しかしながら、量刑において、原審弁論要旨で指摘した事実が全く考慮されていない。

この限りで、脱税額について事実誤認、法令の解釈適用に誤りがある。

即ち、

(一) 被告人分の課税所得を構成する要素の中には、郵便貯金の利子所得が含まれている。郵便貯金の利子所得は、平成二年分一一五、五一一、五三一円、平成三年分八六、〇二八、八九六円、平成四年分四四、九六三、六五六円、合計二四六、五〇四、〇八三円となっている。

右金額部分については、原審でも指摘したとおり、申告すらしていないし、何らの作為もしていない。

たまたま、事業所得を申告し、利子所得を申告しない場合に、全て過少申告として所得税法二三八条に違反するというのは、一部でも真面目(全く申告しない者より、その限りで真面目といいうる)に申告した方が不利益となり、全く申告しない者との比較からしても不公平なことになる。

原審でも論じたとおり、二三八条が二四一条より重く処罰される趣旨は、行為無価値・結果無価値を考慮した結果であり、第二三八条に該当するためには、そこに一定の工作がともなうことが必要であると解すべきであり、利子所得それ自体について、何らの工作をともなわない本件利子所得の不申告は過少申告というべきではない。

確かに、解約後においても家族名義による郵便貯金がなされた(平成元年ころ以降の預金は家族名義が大部分であり、全くの仮名預金は少ない)と思われる部分(資料がないので判然としない)があるも、家族それ自体の預金は容易に発見しうるものであって、家族名義の預金について工作があったとまではいいえない。

なお、被告人は、供述調書において、申告すれば脱税がばれるから申告する意思はなかった旨の供述をしているところであるが、右は強いて言わされたものであろう。

なぜなら、被告人は、郵便貯金を解約したにも拘らず、新たに預け入れているのである。例えば、甲第九号証の整理番号四二、七五頁の一七行以降の橋元幸太・橋元幸作・橋元満里名義の預金は、平成二年一一月一四日に解約されているところ、右預金は同日付で右同様の名義で預金をされている(七八頁下から一〇行目)のである。被告人の認識としては、預金を継続している認識と変るところがなく、被告人は税法の規定すら知らないし、申告すら思いつかなかったと思われる。

しかも、右状況を考えれば、(これは全体についてもいえることであるが)、預金獲得競争の犠牲というべき側面を持っていることも看取できるのである。

そして、たまたま頼まれて解約したというのみで、郵便貯金のシステムから利子所得が発生し、それが過少申告であるというのでは、あまりに現実の感覚と乖離しすぎていると思われる。

(二) 又、仮に過少申告であるとしても、何らの工作をともなっていない。

利子所得の不申告は、単純不申告と径庭がないと言わなくてはならないし、事業所得の過少申告とは性質が異なるものである。

原判決が、これらの点について全く考慮せず量刑をしたことは不当というべきである。

第二、その他

一、本件の罪質

所得税法違反は、本来の自然犯とは本質を異にしている。

確かに国民は、憲法上納税義務を負わされており、国民の担税力に応じて公平に分配されなくてはならないことは否定するものではない。

しかしながら、旧来から、税に関する限り、市民と為政者との相克が繰り返されてきた場面であり、担税力に応じた公平な分配といっても、必ずしも右命題が普遍性をもった未来永劫変ることのない命題とはいいがたいものである。

税の問題は、時々の社会状勢によって変わるものであり、倫理性といっても自然犯と同質のものとは言い難く、倫理性を過度に強調することはその本質を見誤ることになる。

このことは、戦前において、租税犯の罪質が債務不履行になぞらえ、その唯一の目的は、納税義務者が不正に義務に違反することにより、国庫に及ぼすべき金銭上の損失を防止することにあると理解されていたことからも明らかである。

担税力といっても、収入を多く得ている者については相応の努力があるのであって、結果としての所得について機械的に公平を求めること自体、立法政策の問題としても必ずも公平とは思えない。

脱税は、かような不公平感に内在するという本質を見過すべきではない。

右のようなことを直視すれば、現行法規より侵害された課税権が回復されれば、法目的は十分に達しうるのであるから、過度な倫理性を強調して、本来的には実刑に処すべきものではない。

二、病状の変化

1 被告人は、最近、安静時の胸痛も出現し、不安定狭心症へ移行し、自宅療養を要する状況にある。

2 又、被告人の夫・橋元幸平は、脳梗塞、高血圧、糖尿病に加え、前立腺肥大症、神経因性膀胱であり、手術が必要な状況にあるが、脳梗塞合併のため手術できず、しかも、最近は運動能力が低下、日常生活に介護が必要な状態にあるのであって、被告人の症状から介護が十分に出来ないことがあるとしても、少なくとも被告人がそばに居ることが必要である。

三、寄附

被告人は本件贖罪のため、あらたに金二〇〇〇万円の寄付を予定している。

本件の如き犯罪において、被告人の反省を顕現するためには、右の方法しかないのである。寄附を情状の一内容として考慮することは、貧富の差による不公平をもたらすとの批判があるが、貧富の差による問題は何も寄附に限ったことではない。

犯罪は人格の発現であるとするなら、寄附も人格の発現であって、十分に考慮すべきである。

又、寄附それ自体は犯行後の事情であるが、寄附行為により金員は社会に還元され、社会正義実現の資源となっていくのである。量刑が人格的非難である限り、行為時のみを非難の資料とすべきではないし、量刑が被告人の処遇を含めてなされる以上、社会的正義の実現に奉仕した被告人については改善の一資料として評価されるべきものである。

四、動機面について原判決は考慮に値しないとする。

しかしながら、人格的発現の場にあって、自己の利益のためか否かは人格的評価としては違う以上、この点について十分に汲むべきものである。

被告人の最近の現状は、毎日死にたいとの繰り返しである。今後の展開いかんでは、夫幸平を道ずれに自殺する可能性すらある。被告人は、従前、何の贅沢な生活を送ってきたものではない。被告人の人生は、全て自己以外の第三者にささげてきた人生であったところ、この結果であり、被告人の人生は何だったのか判らないものになっている。

確かに、脱税行為についてはその刑責を問われるべきとは思うが、刑責を問うにあたり、単なる応報主義を貫くべきでなく、人格形成過程・犯行に至る経緯・その後の事情も十分に汲みとり、社会内処遇によって十分に更生しうるなら、あえて実刑に処すべきではないのであって、かような観点から刑責を問われることを願いたい。

以上

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